舗装された道ではあるが、全線を通して非常に急な勾配、狭隘区間が多数を占め、文字通り酷道である。
しかしながら、随所に歴史を感じさせる点が数多く見られ、ただの道路として見るにはあまりにも勿体無い。
私は歴史に疎いがためあまり詳しいことは書けないが、この記事でその一部でも感じてもらえればと思う。
事前調査
場所は大阪府東大阪市東豊浦町の国道308号線だ。反対側は奈良県生駒市西畑町の国道308号線。
実際の感覚としては奈良側はもう少し下ったところまでが峠という感じだが、Wikipediaによるとどうやらここまでなようだ。
今更述べるまでもないが、暗峠は日経の記事によると、最大角が17.2°(道路勾配31%)らしく、とにかく傾斜がえげつない。
ヤマハのPAS 激坂チャレンジ No.01 大阪府[暗峠]ではなんと26°(道路勾配48.77%)を記録した。
聞くだけならそんなでもないように見えるが、マジでやばい。
ちなみに、道路勾配は100m水平に進むと100m登るのを100%とし、48.77%だと100mで48.77m登ることになる。
Youtubeでもやべえやべえ言ってる人の動画は数多く見れるので気になる方はぜひ調べてみてほしい。
そして勾配よりもやばいのが、狭隘区間しかないことだ。
二輪ならまだしも、四輪は離合不可な箇所ばかりで正直通れたものではない。(なのに四輪車が両方向からめっちゃ通る)
非力なマシンだと止まったら発進するこも降りて押すこともできない可能性もあるため通行の際は注意したい。
そんな暗峠だが、実は初めてではない。
以前スーパーカブの時代に一度訪れており、奈良県から大阪府まで走破している。
しかしながら、当時は一人では無かったことと、こういうことをそこまで趣味とはしておらず、写真もほとんどなくただただ叫んで帰ってきただけだった。
今回は未踏の大阪府から奈良県へ抜け、そして奈良県から大阪府へ帰ってくる往復ルートを計画している。
突入
大阪府から暗峠へ
始まりは大阪府道702号線と国道308号線の合流地点から少し進んだところだ。
このあたりから府道702号と比較すると狭隘な区間だが、この先のことを考えるととても広い道である。
にしても交通量が結構多いが、みんな暗峠通るのだろうか。
そんなわけはないだろうな...。
さて、暗峠の大阪府側の起点へやってきた。[地図]
実際はもう少し下なのだが、一方通行なので国道308号線自体が迂回する形でここまで誘導される。
とはいえ、ここまでの住宅地区間は「通学路に付き通行をご遠慮願います」と枚岡警察署そして大阪府八尾土木事務所によって出されていた。
暗峠へ入るにはここを通るしか無いのだが、通行できないとなると実質一方通行になってしまうが・・・。
早くも酷道の香りを感じるが、幸い祝日なのでノロノロと通行させてもらった。
場所は少し飛んでお休み処初音の前まで来た。[地図]
正直勾配がきつい上に離合不可なレベルで狭隘なため、止まってられない。
そのため、此処から先も写真の枚数は結構少ない。
写真では分かりづらいが、大阪府側は信じられないくらい勾配がきつい。
少し写っている暗峠奈良街道の案内板と比較してもらえれば勾配がある程度わかると思う。
ちょっと寄り道
このまままっすぐ上がりたいところだが、道中の疲労と水分を持ってきていなかったため、お休み処初音でお茶を買い、少し休憩する。
祝日ともあり、家族連れやハイキングを楽しんでいる人たちが多く、意外にもハイキングコースとして人は多いようだ。
かつての街道の姿を見せてくれているような感じがする。
水は少し濁っていたが、透き通っており綺麗だった。
長袖長ズボンにアーマーとパーカーを着込んでいたため、ここで少しだけ涼むことができた。
しかし、先は長いのでこのあたりで出発を開始する。
続く勾配、地獄
場所は飛んでヘアピンカーブが連続するおそらく最大勾配区間だ。
これも写真では分かりづらいのだが、とにかく信じられないくらい傾斜がきつい。
タイヤ痕がいくつも着いているように、四輪だと空転するのだろう。
決してドリフトの後ではない。
あと、125cc 4stでは2速では減速してしまい、1速でしか登らなかった。
ちなみに私のバイクは少し傾斜がマシなところに停車してきた。
ここも若干傾斜があり、スタンド側にも傾斜があるため気が気ではない。
なぜかバイクに近づくとゴムが焼けたような臭い(おそらくタイヤの臭い)がした。
空転してないはずだがかなり熱を持っているようだ。
エンジンもかなり熱を持っており、カブ時代の癖でエンジンに気が行ってすでに帰りたくなってきた。
ついでにこれから登る奈良方面も撮影しておいた。
今度は水平に構えて撮影してみたが、傾斜がよくわかるだろう。
ちなみに、ここに来るまでにSUVと離合するために一度停車しており、発進は言うまでもなく、体制を保つだけでも苦労した。
これ舗装工事するとき苦労しなかったのだろうか。
平場を見つけたのでそこで小休憩を取ることにする。
この時もタイヤが焼けたような臭いはしていたが、エンジンは調子よく再始動してくれたため本当にタイヤが熱持ってたんだろうか・・・。
場所は飛んでほぼ頂上まで来たところだ。
ちょっと珍しい標識だが、おにぎりと奈良方面と親切に教えてくれている。
写真では見切れているが、右側の寺に続くと思われる道のほうが広いため行ってしまう気持ちもわかる。
発進する寸前でハイキングのおじさんと少し話をしたが、今日は奈良側まで抜けられるとのことだった。
後にも紹介するが、雨が多い日は通行規制が行われることがあるようだ。
暗峠頂上
場所は更に飛んで頂上の住宅街の石畳だ。
この石畳は江戸時代に郡山藩によって敷かれたようで、後にコンクリート埋めが成されたのだろう。
見た目はいいが、凹凸がひどく、少しがれた林道に入った気分だ。
長らく放置してきたタイヤなため、パンクが心配でここは慎重に走る。
少し話は飛ぶが、この付近は街道として現役だった時代から集落があり、茶屋もあったという。
今でこそ自動車があるが、当時は自力で登るひつようがあった。
そんな中、頂上という一つの節目に休憩処があるととても安心したことだろう。
現在でも「すえひろ」という茶屋が営業しているようで、車などところどころ「文明」は見られるが、街道当時の姿を見ているような気分だった。
集落を抜けると現代的な道路の下をくぐる。
この上を通るのは信貴生駒スカイラインで、四輪車のみ通行可能な有料道路である。
下りで急カーブな上にスカイラインのトンネルのおかげで視界が最高に悪い。
幸い対向車は無かったが、もし来ていたら地獄だっただろう。
いくら二輪車とはいえこの勾配は簡単に転回できない。
スカイラインを抜けると生駒市の街並みが垣間見ることができる。
ガードレールといい、標識といいかなり雰囲気がいい。
奈良県側は比較的マイルドで、その辺にある峠道と大差ない道路だ。
実家の近くにある峠道もこんな感じだったことを思い出す。
と思ったのもつかの間、住宅街に入ると再び急勾配で狭隘な区間が続く。
このあたりは暗峠ではないようだが、感覚としてはまんま暗峠である。
さて、一方通行にあたったところを節目に引き返すこととする。[地図]
正直あの道を下ると考えるとかなり憂鬱で別の道を通りたくなるが、往復して初めて走破と言えよう。
雲行きも怪しいため、潔く来た道を戻ることにする。
奈良県から頂上へ
奈良県側は比較的マイルドだが、住宅街は大阪府側と同じレベルでかなりきつい。
寺の入り口前が若干平場となっていたためそこで停車して撮影したが、勾配の場所で止まるのは不可能に思えた。
足がかかとまでしっかりつかないと多分滑り落ちてコケる。
少しだけ旧道探索
行きで紹介したため一気に飛ぶが、旧道と思しき場所があった。
一瞬徒歩用の道かと思ったが、徒歩用にしては高規格すぎる気がする。
おそらく車道として供用されていた旧道なのだろう。
動画で少しだけ映るが、新道は明らか山を切り通して作られており、当時からあるとは到底思えない。
徒歩で通行した動画が以下だ。
じゃあ新道が国道なのかと思えばそういうわけでもなく、地理院地図では未だに旧道が国道として表記されているため現道はこちらの旧道であり、現役の新道は国道ではないということか。
例によって地理院地図の航空写真を見るとやはり新道は2007年~の地図には存在していなかった。
なお、現在はチェーンで封鎖されており、徒歩と自転車(バイクは雰囲気からして禁止だと思う)意外は侵入できないようになっている。
ちなみに新道というのはこれのこと。
奈良県側を向いて撮影しているが、どう見ても最近切り通して作った道である。
数年の時を経て、おそらく初であろう自動車とのツーショットを撮ってみた。
本気でこの道を自動車で通ってたと思うとゾットする。
だってこの面構えだよ。
さすがにここまでひどくはなかったと思うが、狭さは同じなはずだ。
ちなみに私も初めの頃はこういう雰囲気の道は一人で入れなかったのだが、今では余裕で入ってしまうようになってしまった。
大阪側を向くとこんな警告が。
ここは道幅が広く、一般的な比較的マイルドな峠道とほぼ同じ規格であるため、通れると思っても不思議ではない。
奈良県から頂上へ 再び
ピンぼけしてしまったが、休憩から少し進んだカーブで停車して撮影した。
このあたりは本当に大型車も通るような峠にしか見えない。
この辺りは地形のこともあり、棚田が主流となっている。
しかしながら、こういった進入路が徒歩くらいしかない棚田は耕運機を持ち込みことができるのだろうか。
可能だとしても相当苦労しそうだ。
駐車スペースがあったため少しだけ停車して撮影した。
この際も二輪車の往来があり、道路の状況に反して交通量は結構ある。
ここに来るまでに幾度となく会釈してきたが、道路が道路なだけにヤエー(すれ違うバイカーに対して手を降ったりする挨拶)はほぼなかった。
生駒市街を撮影したポイントから少し下がったところまでやってきた。
ここからはアスファルト舗装よりもこのOリング舗装がメインとなる。
いよいよ暗峠の主たる地点へやってきたという感じがする。
話はそれるが、Oリングは一つ一つ手作業でやってるらしい。
となると暗峠だけで相当な量を手作業したことになるが、これがなくては実際通れないのだから感謝してもしきれない。
頂上手前でまた警告があった。
しつこすぎるくらい警告してくるが、この先はロングボディだと底すって最悪本当に立ち往生する。
ちょうど離合ポイントが広めに取ってあったため、ここで引き返せよって意味なのだろう。
頂上再び
さて、再び頂上へやってきた。
写真で見ると美しく平坦な石畳である。
ここで石畳は途切れる。
およそ50mほどで此処から先はコンクリート舗装となる。
ちなみに、道の狭さは相変わらず離合不可レベルである。
集落区間はここで終了だ。
ここからは再び地獄の傾斜を下ることになる。
自動車は下りの場合、ブレーキを連続で使いすぎると熱を持ってブレーキが効かなくなる場合がある。
それにジェットコースターみたいな感覚があるため下りの恐怖は上りの比ではない。
大阪府への下り
分岐点までやってきた。
左にそれるコンクリート舗装の道が国道308号線だが、明らか右側のほうが高規格で通り抜けられそうな気がする。
頼むから右から帰らせてくれ・・・。
ちなみに、右側を進むと結局暗峠につながるのでただ単に迂回するだけとなる。
右側には「ぬかた園地・あじさい園」があるらしい。
当日は裏にあるこれまた高規格な寺へ続くとされる道も閉鎖されており、こちらも普段は閉鎖されている雰囲気だ。
ハイキングコースなのだろうか。
そういえばイノシシが出るらしいので通行の際は気をつけよう。
後になったが、この先は規制区間なようだ。
起点となっている通り、奈良県側は規制されないのだろうか。
たしかにこの勾配だと規制されても不思議ではない。
そもそも雨が降るだけで危険な気がするが。
下りの中でも比較的マシなところで停車して撮影した。
後ろにはあまり見てなかったが地蔵があり、手入れをしている方が数名おられた。
左には公衆便所がある。
比較的勾配がマシ(普通に足が攣りそう)なところで撮影。
横の塀と比べると勾配がよく分かるだろうか。
ここほどブレーキが足にあって良かったと思ったことはない。
ちなみに足元は湿った土で苔が生えている。
なぜこんなところで止まったのか謎だが、油断すると滑って転けるだけじゃすまないだろう。
残すところわずか。
最大勾配の部分は止まれるはずもなく、上りに撮影してきたので思いっきり飛んで公園付近までやってきた。
ちなみに止まろうと思ってポールまで突っ込んだはいいもののくぼみにハマってこの後降りるのも道に戻すのも苦労した。
100kgほどの重さで本当に良かった・・・。
道に戻るときに下り側へ転けそうになったのは今でも忘れない。
寺?の前に駐車スペースがあったのでそこで停車して奈良県側を向いて撮影した。
こう見ると田舎の住宅地にある農地へ通じる道にしか見えないのだが、これが本当に国道なのか・・・。
駐車スペースを下ると初めに休憩したお休み処初音の前に出てくる。
写真撮影していると半キャップを被った少年たちが原付スクーターで集合していたが、今から暗峠に突撃するのだろうか。
2stもいたがエンジン焼けるんじゃないかこれ。
下りのときほどではないが、ここから見る大阪府の景色は素晴らしい。
すっごいモヤがかってるのは気にしないでおこう。
ここまでくればもう終わりみたいなものだが、まだ暗峠は終わってはいない。
バリバリ住宅地だが、ここもOリング舗装された急勾配区間である。
さて、暗峠終点までやってきた。
初めは傾斜にビビっていたが、意外にも事故なく普通に走行することができた。
とはいえ、終始きつい勾配であることに変わりはないため、走行する方は注意して走行しよう。
もし自動車で行くなら少なくとも勾配のきつくない峠で安定した走りができるようになってからでないと厳しいと思われる。
最後に走破していないヘキサを見つけたため休憩ついでに撮影しておいた。
暗がり峠は既に終点を迎えているが、Oリング舗装は暫くの間続いている。
今でこそここまで広い道だが、街道として現役の頃はここまでしかなかったのだろうか。
いろいろと恐怖を与えてくれたが、それ以上にかつての街道を思わせる部分が多かく、とても良い道だった。
とはいえ再訪したいとは思わない。
事後調査
暗峠は正確にいつから存在するのかわからないが、どうやら江戸時代から存在しているようだ。参勤交代で利用されたこともあるようで、頂上の石畳は急勾配で殿の籠が滑らないように敷かれたらしい。
このあたりは平地なため、滑らないように思えるが、おそらく現存するのがここというだけでその他のきつい傾斜にもあったのだろう。
それぐらい主要な道だったようで、当時は相当賑わったことだろう。
歴史には疎いのでこれぐらいしかわからないのが惜しいが、最後に地理院地図で新道の有無を紹介して終了しよう。
まるで示したところが新道の部分だが、地理院地図によると2007年付近ではまだ新道はできていないようだ。
よく見るとT字路のようだが、今回確認した旧道の状態からして右に曲がる車はどれぐらいいたのだろうか。
ちなみに赤丸の左側の比較的広い道は1984年~1987年の前までは普通に狭いみちだった。
少しずつ拡幅されてきているようだが、住宅地を貫く暗峠の拡幅は不可能に近いように思える。