元々はただ通過する予定だったが、何やら旧道っぽいものが見えてしまったからには入らざるを得ない。
ぱっと見道があるようには見えないが、道として利用できるのだろうか。
初の廃道探索であったが、今後に活かせるとても良い経験だった。
目次
事前準備
場所は京都府道5号の和束町、山間部にある。
上にある隧道が湯船隧道で、こちらも旧道があるが今回は確認していない。(山が切り開かれてたからもうないかもしれない)
その南下したところにあるのが今回の和束隧道である。
主要地方道なだけあって交通量はそこそこあるが、平日ということもあって探索時は多くても連続4台程度でほとんど通行はなかった。
元々探索予定もなかったためこれぐらいにして探索へ行ってみよう。
そもそもこんなところに隧道があるなんて知らなかったため事前準備もへったくれもないのだが...。
和束隧道と旧道
和束隧道
府道を北上していると今回初隧道の和束隧道が見えてきた。
名前もそうだが、坑門からすでに年季が感じられ、平成に作られた隧道ではないことがうかがえる。
古い隧道に現代的でキレイな電子機器が取り付けられている感じはなんともたまらないものがある。
また、隧道内の照明はオレンジ色で、近年新設されるトンネルでは全く見かけなくなったナトリウム灯が用いられている。
照明器具の状態から当時ものの照明とは思えないが、おそらく時期的には低圧ナトリウム灯だと思われる。
トンネル照明についてはある記事を見つけたが、竣工年を考えるともしかして当初は照明がなかったのではないか・・・。
なぜトンネルの中はオレンジ色? 道路照明に隠された工夫とは
幅員は道中の山間部と同じで、結構狭い。
一般車や小型トラック程度なら問題なさそうだが、大型ダンプが割と通るため更に狭くなる場合がある。
このようなトンネルは円形構造となるため、端っこに行けば行くほど天井低くなってしまう。
大型ダンプなどの全高の高い自動車が通過する場合に真ん中寄りに通行したり、トラック同士が通過する場合に譲っているのは物理的に通行できないために取っている行動だ。
カーブしてるのが更に通行の難易度を上げている気もする。
後回しになったが、竣工銘板もかなり綺麗に残されていて、全く黒ずんでいない、すごい。
昭和32年3月30日竣工で、m, cm表記も漢字ときた。
現在ではもう漢字表記は使われることがなく、全てmで表記される。
ちなみに、糎はセンチメートルの訓読みしかないらしい。(専用漢字だった)
また、近年のトンネル銘板には京都府と書かれており、建造とまで書かれているのは初めて見た。
反対側へやってきた。
こちら側も同じ坑門でシンプルながらにアーチ状の石が美しい。
こちらには和束隧道ではなく「鷲峰洞」という扁額が付けられている。
これは隧道の別名で、近くの鷲峰山に因んだ名前らしい。
トンネルの別名
中身はこんな感じ。
内部はコンクリート覆工で、意外にも水が漏れてるのは一箇所だけだで、堅牢な印象を抱いた。
ちなみに、静かな車が通ってもゴォォォオオ!!!というすごい音が聞こえるため一瞬何事かとびっくりしてしまう。
旧道
さて、この隧道だが川の方を見ると何か怪しくない・・・?
旧道・・・ない?
反対側から見てもやっぱり旧道っぽいものがある。
こういった旧道はガードレールで完全に塞がれるパターンとポールで明らか道でしたよアピールするパターンがあるが、とてもわかりやすい後者だった。
見つけたからには行くしかないでしょう。
入り口の平場はやけに広く、アスファルト舗装がチラッと見えたため車道だったのだろうか。
交通の用としては引退したようだが、今だに道だったと思われるところに草は生えておらず思った以上に歩きやすい。
先ほどちょっとだけ見えたアスファルト舗装はすぐに無くなった。
...なんかおかしくねえか...?
車道だと思ってここまできたが、なんか人一人歩けたらいいくらいの道になってるけど・・・。
人一人歩くには十分な広さなのがまたずるい。
路盤消失にも見えないけど、徒歩道だったのか?
一番細いところでこのでかい岩よ。
乗り越えるのは特に苦労しないんだが、この形って転がってきたとかじゃなくって上の崖がそのままずり落ちてきたってことだよな。
ピンポイントで降ってくるとは思えないが、気持ちの良いものではない。
奥に平場が見えるため引き返すわけもなくそのまま乗り越えて進む。
一気に車道かと思える広場に変わった。
やっぱり車道だったか?と思うもののアスファルトだった痕跡は見当たらず。
偶然に広かっただけなのかやはり車道故の広さなのか。
広場の奥へ進むと草木が増え出してきた。
こいつらが生茂る基準がよくわからん・・・。
またも草木が無くなったが、次は落ち葉と石でガレ始めてきた。
そして奥に謎のロープが下へ伸びているが、ごく最近使われたようでかなり綺麗だった。
今まで鮮明に残っていた路盤が完全に消失した。
後少し行けば隧道の入り口の分岐へと到達できるが、この手の経験値が浅い私はあろうことかここで撤収してしまった。
家に帰ってから改めて見ると大して高さもないし行けただろ・・・。
川の方を向くと砂防ダムがひっそりと隠れていた。
コイツ、人工物なのに山と同化してやがる・・・!
ロープの下はというと、しっかりとは撮っていなかったが、ダムの下で普通に川があるだけである。
釣りでもしてたのか・・・?っていうかこんなダムの直下で釣れるのか?
あるいは砂防ダムの作業員が使っているのか。
ちょうど砂防ダムで道は途切れていたし、何かしら関連はあるだろう。
帰り際に真新しいペットボトル飲料を発見した。
いまいち覚えていない上に白飛びしていてなんのはっきりわからないが、おそらくキリン アルカリイオンの水だ。
現在でも販売されているミネラルウォーターである。
ってことはロープを垂らした者が落としていった落とし物だろうか。
ごく最近通行があったことが伺える。
さて、尻尾を巻いて逃げてきたわけだが、反対側から旧道を除いてみると...
やっぱり完全に道が消失していた。
帰宅後すぐに地理院地図の航空写真を見てみたが、1974-1978年のものしかなかった。
これだけでははっきりとはわからないが、今よりも圧倒的に道として機能していたように見える。
しかしながら、舗装はされていないようでやはりダートだったのだろうか。
個人的には車道を押したいところだが、なんとも現状は判断に困る要素ばかり・・・。
古地図が手に入ったら改めて考察してみようかな。
すくなくとも、現在は北部から砂防ダムまでの一部区間を徒歩道としか利用できないのは確かである。