兵庫県・大阪府道 601号 杉生能勢線

兵庫県プチ遠征シリーズ第一弾は、夏に友人と四輪車で一度通った兵庫県道601号、半年ぶりの再訪である。
当時はかなりの剣道だと思っていたが、思っている以上に剣道ではなく一応整備は行われているようだった。
しかしながら、狭隘区間が多数を占め路面状況は良いとは言い難い。

事前調査

場所は兵庫県川辺郡猪名川町杉生。

頂上から丹波篠山市と接続し、降りた後に次は大阪府と接続する。
記憶上ではあるが、基本的に1車線程度しか道路幅はなく、離合は困難なところが多い。
また、勾配もそこそこあるため路面が濡れていたりすると滑る可能性がある。
冬季は積雪があることもあるそうで、探索時は注意したい。

終点は大阪府豊能郡能勢町天王で、国道173号と接続する。


なお、本シリーズでは県道601号他、県道538号、県道309号を掲載する。

探索開始

兵庫県猪名川町より

始まりは1月の中旬、寒空の中県道12号との分岐点へと赴いた。
県道12号はかなり広い道で、かなり長いためここでは紹介はしないが、規格の割に平日ということもあってか交通量は極めて少なかった。
当該県道はなんと総延長47.724kmもあるようで、写真に収めることはおろか、全て走ることすら厳しい。
とはいえ、ここまでくるのにおおよそ半分以上は走っていたのだった。


県道12号はここまでにして、早速県道601号に突入しよう。
始点からすでにこの細さである。
道なりにまっすぐ行くと県道601号で、写真中央に写っている右折側は集落に繋がっている。
しかしながら、この辺りは舗装が荒れておらず狭隘なことを除けばそれほど剣道ではなさそうだが。


県道を進むとすぐに森の中へと導かれる。
道路端にかなり大きなスペースが作られているが、離合スペースだろうか。
離合スペースはアスファルト舗装がなされておらず、本線とのギャップがすごい。
スペース的に駐車スペースとも思しき場所だが、生憎この近辺は木々以外何もない。


離合スペースには不法投棄に関する警告板が置いてあった。
確かにこう言うスペースには不法投棄がよくされているものだが、ここは不思議とペットボトル一つすら無かった。
逆にその景色に不気味さを感じてしまったのは褒められたことではないのかもしれないが。


森林公園ばりの自然な木々が並んでいたが、すぐに人工的とも思える並んだ杉林が左手に姿を現す。
三重県道39号(杉並木の美しい三重県道39号青山美杉線)でも杉林が登場したが、こちらは緑と無色の対称がはっきりとしている。
まるで夏と冬を道路が分断しているようだった。


杉並木もすぐに途切れて再び無色の世界が広がる。
奥に少し見えているが、ここからが県道601号の本当の姿である。


ヘアピンカーブだ。
しかもヘアピンカーブの後に強烈に狭い区間を経て再びヘアピンカーブが待っている。
ここまでならロングボディの車でも余裕だが、ここからは気を引き締めないと地獄を見ることになる。
私はバイクなので何も気にせずに通過した。


二つ目のヘアピンカーブを超えると再び元の道へと戻る。
まるで今までのカーブが無かったかのような顔をしている。


ちなみにだが、不法投棄の監視カメラが置いてある。
本当に動いているのか疑問だが、太陽光パネルがあるためおそらく動いているんだと思う。
確かにカーブ後に車一台分停めることのできるスペースがあり、車一台停まっていても不思議ではない。


本性を現す 丹波篠山市側

ヘアピンを超えるとすぐに頂上に到着し、ここより丹波篠山市に入る。
ここまで綺麗な舗装路だったが、丹波篠山市の看板を境に一気に路面状況が悪くなる。
市道ならまだしも県道なのに市を境になっているのはどういうことだろう。


ガードレールによる防護は完璧だが、路面状況がよろしくない。
ここまで安心し切っていた四輪車はここで一気に不安にかられるに違いない。
しかしながら、大きな陥没はアスファルト埋めがなされており、走行に大きな問題が生じることはないだろう。


だが、ここから見える景色は素晴らしいの一言に尽きる。
季節的に絶景ではないのだが、夏やはたまた雪景色になればかなり美しい景色になると思われる。
ちなみに、撮影兼休憩の間に軽トラが1台通過した。


時間が押しているため、休憩を早々に切り上げて先へ進もう。
少し進むとガードレールから網のフェンスに切り替わる。
といってもフェンスももう終わりなのだが。

相変わらずアスファルト舗装はヒビと影響のない程度の陥没が見られる。


峠を降ると三差路にぶち当たる。
夏はここを左折したのだが、今回は右折して県道601号を継続して走行することにした。
県道538号も探索するため、しばらくしたら記事としてまとめる予定だ。


続く狭隘道路

右折するとこの景色だ。
この辺りは民家もあるため、もう少し綺麗な道だと思ったが、良くも悪くも予想は外れた。
しかしながら、ここからは勾配はほとんどなく、川沿いにほぼ平坦な道となる。


マジで県道なの?。
案内標識無かったらただの農道にしか見えないし行き止まりでもおかしくないぞ。


ちなみに路面が少し濡れているが、このように水浸しになっていた。
川になっているのかとも思ったが、探索当時は流れていなかったため真偽は不明だ。
どちらにせよ路面状態としては最悪だろう。
積雪があるらしいので冬季は凍結に注意したい。


その先は川に沿って弧形にカーブする。
相変わらずガードレールはないが、ここならずり落ちてもそこまで大きな被害にはなら無さそうではある。
路面が若干湿ってることとから先ほどの川っぽいのは雨が乾いてないだけだろうか。


川のほうはこんな感じ。
すごい砂州の面積だ。
ここだけやけに開けていて川もそんなに深くないため簡単に行けてしまう。
子供の頃なら絶対にここで遊んでいた。


水質も透き通るほどには綺麗だが、少し濁ってるような気がした。藻のせいだろうか。
さすがに寒すぎるので手はつけていない。


拡幅された? 大阪府能勢町側

ここから大阪府の能勢町に入っていく。
相変わらず私以外の自動車も人も通行していない。


これは丹波篠山方面を向いた写真だが、大阪に入ってすぐやけに開けた場所が出てくる。
離合スペースにしては広すぎるし、二車線分は余裕である。


と思ったのは束の間再び狭くなる。
左側にガードレールがあるが、農道用の側道だろうか。
にしても不自然なガードレールの置き方だ。

ここで撮影していると最初で最後の自動車が後ろから走って行った。


少し進んで丹波篠山側を撮影した。
農道でもあるのかと思ったが、どうやらそのような形跡は見られない。
二車線分ほどの幅があっため、拡幅を予定していたのだろう。
そういった情報は見つからなかったが、拡幅以外の用途が思いつかない。
一応舗装はされてないもののスペースが大きいため、ここでの離合は可能だ。


再び大阪側を向いて進みはじめよう。
アスファルト舗装がないにせよ、一度開けた道が再び狭くなる。
路肩注意とあるが、ここは法面の角度が結構きついため、自動車が落ちると横転して終わりだ。


再び開けたと思ったら狭くなる。
離合スペースとして使っているのだろうが、やはり離合スペースにしては開けすぎな気がしてならない。


橋を越えると再び川沿いに一車線道路が続く。


また開けてきた。
今度こそ離合スペースとして設けたとは思えない延長だ。


先ほどの場所からはずっと二車線ほどの幅がある道に様変わりする。
しかもセンターラインがうっすらと見える。
実は、大阪側は二車線道路が大半を占めており、狭いところはここより後ろ側をのぞいて存在しない。
ということは拡幅疑惑のあったスペースは本当に拡幅を想定していたのだろう。


センターラインに合わせて人工的な亀裂が終始見られる。
おそらく拡幅跡だと思われるが、大阪側も狭かったことが想像できる。


伝説の地

しばらく走っているとなにやら木製の看板が立ててあった。
「伝説の地 女郎ヶ渕」 どうやら大蛇伝説のある渕らしい。
観光地的な感じなのだろうが、看板がかなりボロボロで人がそんなにくるような場所には見えなかった。
今回は時間が押しているので見ていないが、ぐぐるといくつか記事が見られるため気になる方は調べてっみてほしい。


観光地に見えない理由のもう一つに、ゴミがちょくちょく堆積している。
おそらく長いことメンテナンスされていないのだろう。
看板も影が薄くて見逃すところだった。

なんだか由緒ある場所っぽいしもったいない気がしてしまった。


走ってると不思議な廃墟っぽいものが斜面に見えた。
斜面に通路っぽいものがあるのだが、小刻みに金属の扉のようなものが見える。
あそこまで小刻みに扉が必要なのだろうか。
何の施設だったのか予想一つできない不思議な物件だった。
ところで、こういった複雑な施設は好奇心をくすぐられてしまう。


終点

廃墟から少し進むと森から抜ける。
するとぽつぽつと建物が見えてくる。
いよいよ府道601号も終わりの兆しが見え始めた。
ここにもセンターラインに人工的な亀裂があることから拡幅したと思われる。


これで県道及び府道601号は終了である。
ここを右左折すると国道173号に入ることができる。

今回はこのまま左折し、国道173号を北上して次の目標である兵庫県道309号を目指す。


事後調査

今回のシリーズでは事後調査をするつもりがなかったのだが、拡幅だけ地理院地図で確認しておこう。

まずは2007年から現在にかけての衛星写真である。

場所は能勢町に入り、橋を越えた後に道幅が広くなったすぐの場所である。 2007年以降のどの年代かわからないが、状況としては現在と大して変わらない。


次に1974年~1978年である。

正直古すぎてアスファルト舗装なのかどうかまで確認が取れていないが、1974年であればさすがにアスファルト舗装だろう。
また、国道173号も同じくらい白い地面であるため、アスファルト舗装と考えて良さそうだ。
道路形状も現在と同じであることからこの後アスファルト舗装がなされたとも考えにくい。


とすれば、やはり大阪側は拡幅されたと考えられる。
ただ、拡幅跡らしきものが拡幅によりできた跡なのかどうかまではわからなかった。

情報が無さすぎてこれ以上のことがわからなかった。
拡幅工事は自治体の工事記録があるはずだが、年代的に電子化はされていないのだろうか。

当サイトでは情報を募集しております。
ご存知の方がおられましたらご連絡いただけますと幸いです。

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