道路は常に狭隘な区間が続き、道中は離合ポイント以外は二輪車ですら離合不可な箇所が多数を占める。
道中にはキャンプ場?(公園)があるため、梅雨明けの夏休み期間は結構人が多いのかもしれない。
ちなみに傍示峠(磐船峠)は誤りであることが後の調査で判明した。
事前調査
場所は大阪市交野市の閑静とした住宅地にある一本の細い道である。反対側は生駒市高山町で、こちらは大阪ほどの住宅地ではないが、閑静な住宅地である。
また、生駒側は府道7号と繋がるため比較的見つけやすい。
道路的に府道および、県道かと思ったが、地図ではそのような表記は一切ない。
地理院地図でも府道の色塗りはされていなかったため、恐らく市道レベルの道であると考えられる。
調べてみると意外にもヒットし、どうやらロードバイカーに有名なようだ。
走り屋情報もあったり、地図情報としてもあまりいい感じはしないが、せっかくなので通行してみようと思う。
突入
導入 閑散とした住宅地
事前調査から結構な通行情報があったため、それなりに大きな峠かと思っていたが、どうにもそうではない雰囲気がぷんぷんする。
明らかに農道であり住民のための道だし、本当にあるのか?
あるとして、目的の峠も明らかに「そういう道」であろう。
ちなみに、今日の同行者は目の前にいる自転車野郎で、今回の提案者でもある早弁四太郎氏だ。
しばらく進むと突き当たりに神社が見えてくる。
鳥居が見えてきたあたりから「これ違う道なんじゃね?」と思ったがGoogle Mapではこの先を左折となっているし、何よりも原付がススーっと通って行ったため道路なんだろう。
左折するとすぐに鋭角カーブが見えてくる。
今回の目的である磐船峠(仮称)の入り口(ということにする)である。
ちなみに場所はここだ。
地図を見るとわかる通り、今回来た道はイレギュラーだった。
鋭角カーブのあるところを西に降ると国道168号線にあたるため、そこからまっすぐ向かうのが正解だった。
鋭角カーブなんてそう簡単に曲がれないしそりゃそうだよな。
西傍示線、いざ突入
いきなり!狭い!!
いやまじでびっくりするぐらい狭い。
予想していたよりも狭いし、しかも急勾配じゃない?この先。
道路規格としても明らか低級だし市町村道の第3種5級だろうか。
ここの道路情報は驚くほど無いので確証は持てないが、両側1車線分しかないしそうだろう。
早速勾配がきつくなってきた。
「暗峠」ほどではないにせよ、止まるのにちょっと苦労するレベルで勾配はある。
ここで早弁四太郎氏もさすがにきつかったのか自転車を降りた。
ここで住宅地は終了だ。
ここからが山道で、自転車には過酷な道が始まる。
ちなみに季節は夏で、私もバイク(モーターサイクルのほう)とはいえ撮影するたびに汗だくになっていた。
いよいよ山道の開始だ。
こういういかにもな山道を見るとワクワクしてしまう。
しかしながら、こんなところを走り屋が走っていたのか・・・?
しかも早朝に?
しばらくすると開けた箇所があった。
あまり覚えていないのだが、どうやらプリウスが止まっているところに工事関係の施設かなにかがあった記憶がある。
とおもってGoogle Mapを見ると工事関係ではなくトラック中古販売業社があったようだ。
休憩はこの辺りにして先へ進もう。
ここから先は正直代わり映えしないから書くことがマジでない。
ちなみに勾配はこんな感じ。
山道としてはそこまで急勾配ではないが、それなりの勾配はある。
特にロードバイクではない早弁四太郎氏にとってはかなりのものだっただろう。
低規格な道路であることに間違いはないが、意外にも整備はされているようだ。
舗装はされているし、そこまで大きく損傷しているわけでもない。
なによりもガードレールがある!
さらに進むと比較的新しい金網フェンスが設置されていた。
後に登場するが、公園があるのだがこんなところ通っていくのだろうか。
離合ポイントあったっけなぁ・・・。
フェンスから交野市側を向くと木々の間と金網の間から交野市の街並みが眺望できる。
なんだか小中学校時代の課外学習の頃を思い出す。
当時は活動を行うことがしばしばあったが、そこにあるフェンスから見える街並みにとても興味を惹かれたものだった。
当然その間外に出れない上に帰りに寄れるわけでもなく非常にモヤモヤした覚えがある。
「南山弥生時代住〜」と書かれた謎の石碑が立ててある。
それほど古い石碑でもなさそうだが、一体何を示しているのだろう。
フェンスはまだ左側をガードし続けている。
ここのフェンスも非常にきれいなものでつい最近整備されたモノのように見える。
雰囲気が変わってきた。
電柱もそうだが、人の気配が見え始めてきた。
田も放置されているわけではなく、しっかりと整備されている。
人家だ!
しかもガイドポストが配置されている新設設計。
ってことは思ったよりも交通量は多いのだろうか?
あるいは、人家があるため住民が夜間でも安全に走れるような設計なのだろうか。
開けたところから交野市を眺望してみた。
あまり意識していなかったが、かなり高いところまで来ていたようだ。
にしてもすごい景色だ。
あまり長居すると置いていかれるので休憩はこの辺りにして私も先へ進む。
ここから再び山道となり、人の気配はなくなる。
ん??二輪車通行規制だって?今言うそれ???
と言う感じだが、ここまで来て引き返すわけにはいかないのでパトカーとすれ違わないことを祈りながら突っ込むことにした。
ネット記事によるとここをパトカーが通ることもあるようなので、決して見た目で判断してはならない。
また、事後調査でも触れるが、府道/県道7号線の規制についての看板なのかこの峠に関する規制なのか今だにわからない。
ちょっと寄り道
通行規制看板のすぐ奥を右折するとなにやら頑丈なゲートが見えてくる。
写真は撮っていないが、ゲートが開いていたため、少し中を覗いてみよう。
入るとすぐに舗装路からガタガタダートに様変わり。
見所も何も無いのでずっと走っていると途中で車両通行禁止にぶち当たる。
この先にはボルダリングの施設?があるようで、目的じゃ無いしそもそも通行禁止もあるし寄り道はここまでだな。
ここは金剛生駒国定公園というそうで、記憶ではキャンプ場もあったような気がする。
探索当時は雨の後だったか夏後半だったかもあって人は誰もいなかった。
時期がくると人でごった返すのだろうか。あまり想像できない。
寄り道はこの辺にして引き返そう。
今日はこの後にもふらふらと探索する予定があるためあまり時間がかけられない。
帰り際に見かけた放置されているっぽい田。
ここはまだ公園の道であるが、田があるとは思わなかった。
しかしながらどうやってアクセスするのだろうか。
こちらは峠の田とは違い、完全に放置されているように見えた。
終盤戦
峠に戻ると再び舗装路となる。
初めは舗装路でもえぐい道と思えたが、ガタガタダートの後なら相当きれいに見える。
いや実際に結構きれいではあるのだが。
再び周りが開けてきて人の香りも出てきた。
道の狭さは相変わらずで、ここで3ナンバーの四輪車と離合することになったが、バイクですら離合不可だったため、引き返して四輪車を先に行かせた。
写真でも見えるが、左奥に離合ポイントがあるのだが、ここ以外は離合不可能である。
また、ここで地元の原付のおっちゃんが畑仕事していたのでおそらくここは通行規制道路ではないのだろう。
さて、今回の峠探索はここで終了だ。
ここからは奈良県道7号線となり一気に高規格道路へと様変わりする。
交野市へ抜ける場合は通常こっちの7号線を使うのだろうが、実は7号線もそれなりの腐道/険道である。
最後に振り返って撮影してみた。
こんな道を走ってきたのか・・・マジか・・・。
地元民でなければこんないかにもな道突っ込むことはまずないだろう。
こういう見た目の道はただの農道であることが多く、不通なことが多い。
事後調査
なんともバイク乗りとしてはあまりいい印象のしない道であったが、最後に事後調査で締めようと思う。峠の名称である「傍示峠」だが、大阪側にある集落の辺りを傍示というようだ。
そこから付けられた名前ではないかと考えられる。
もう一つの名前である「磐船峠」は同様に交野市側の麓にちなんだ名前のようだ。
とはいえ、どちらも正式な名前ではないようで、交野市にも生駒市にもこの名前でページが記されることはなかった。
また、同じく交野市にある天野川上流に磐船神社というところがある。
その前の国道168号線は磐船街道と呼ばれているが、この街道と今回の峠は恐らく全く関連性がないと思われる。
生駒市の南田原から磐船を経て、私市から枚方に至る道は磐船街道といわれ、古代の有力氏族物部氏がその祖神と仰いだ、饒速日命(にぎはやひのみこと)の河内降臨の神話と深い関連がある。 饒速日命の降臨の記事は「古事記」(712)、「日本書紀」(720)に見え、饒速日命(にぎはやひのみこと)が神武天皇の東征にさきだって天磐船に乗って高天が原から畿内に天降ったと書かれている。磐船街道 - 星のまち交野より引用
「生駒市の南田原から磐船を経て、私市から枚方に至る道」とあるように、磐船街道は生駒市と枚方市を結ぶ道であるようだ。
地図で見るとまんま国道168号線の一部を供用しており、場所からして関連性が見られない。
途中で磐船峠に分岐する道があるが、峠自体通った限り磐船街道ほど重要な道とは思えなかった。
磐船峠は高山町と交野市を結ぶ峠ではあるが、重要性で言えば県道/府道7号線のほうが上だろう。
名称の変遷としても国道168号線のようで、やはり関連性はないように思える。
名称の変遷は、①上津鳥見路(かみつとみじ)嘉禎2年(1236) ②岩舟越 長禄2年(1458)③岩舟越・割石越 安永5年(1776) ④岩舟越・大和道 享和元年(1801) ⑤南都街道 天保8年 ⑥岩船街道 明治30年 ⑦国道168号線 昭和28年磐船街道 - 星のまち交野より引用
そしてWikipedia情報だが、こんな記載があった。
当道路の元になった傍示越は大和・河内国境の傍示峠を越える、平安時代からの古道である。傍示越は平安初期に創建された八葉蓮華寺の僧兵が利用した道が元になっていると考えられている。大阪府道・奈良県道7号枚方大和郡山線より引用
ん???待てよ?? 県道7号で傍示越?傍示越峠?
ここまで考察しておいて重大なミスを犯していた。
Google Mapにも徒歩マークがあるように、今回走行した道はおそらく「磐船峠/傍示峠」ではない。
山の頂上付近に今回の峠と交差するように傍示越というかいがけ道があるようで、どうやらこちらが「磐船峠/傍示峠」のようだ。
地図は登山者の方が作成したサイト(5.傍示越から倉治へ - dokodemo-walkin ページ!)に委ねることにするが、かいがけ道は磐船街道から府道7号を交差して北上するらしい。
そういえば登山道があるとかなんとか見かけたような気がする。
また、この道も磐船街道と同様に、大和と交野を結ぶ重要な道だったようで、こちらの道は磐船街道との関連性がありそうだ。
かいがけ道 この道は大和と河内を結ぶ重要な交通路として、古代には修験の道、奈良・平安時代には紀州熊野神社へ詣でる「熊野街道」として、また天正年間(1573~92)織田軍と戦った武将どもの馬駆け道として多くの者が往来しました。 平成七年三月 交野市傍示越街道(かいがけ道) : 大阪を歩こう - Livedoorより引用
では今回走行した道は一体何なのか?
走行当初から市道ではないかとはじめに考察していたが、生駒市地理情報によるとやはり市道扱いのようで、正式には「西傍示線」というそうだ。
しかしながら、交野市側には生駒市のようなシステムは提供されておらず、交野市側の正式名称は得られなかった。
恐らくこちらも同様に市道で何らかの名称が付いていると思われる。
どうも市道は情報が得られなくて困ることが多い。
また、生駒市は市道にも道路標識を設置していることが多いが、ここにはそれらしきものはなかった。
番号が振られていないからなのか理由はわからないが、設置基準も気になるところだ。
また、二輪通行規制だが、日本二輪車普及安全協会によると西傍示線ではなく県道枚方大和郡山線(県道7号線)がローリング族対策のために規制されているようだ。
とはいえ峠を抜けて県道で地図を確認している間に数台二輪車を見かけたが・・・。
そのため、おそらく今回走行した峠は規制対象では無いと思われる。
そもそもこんな狭いところローリング族も来ないだろ・・・。
ちなみに南下したところにある国道163号線のトンネルの上を走る清滝峠も終日二輪車通行禁止になっているが、結構二輪車を見かける。
だからといって走っていいわけではないのだが、あまり厳しく規制はされてないのだろうか。