杉並木の美しい三重県道39号青山美杉線


三重県伊賀市阿保から津市美杉町八知を結ぶ主要地方道である三重県道39号。
全体的に1車線の細い道が続くが、中間地点の杉並木は非常に美しい。
交通量は多いようだが、平日のアタックでは非常に少なかった。

事後調査

三重県道39号青山美杉線は三重県伊賀市阿保を起点に津市美杉町八知までを繋ぐ主要な地方道である。

路線は全体的に1車線ほどの非常に狭隘な道が続く県道である。
国土交通省の平成27年度の調査(平成27年度全国道路・街路交通情勢調査 一般交通量調査 箇所別基本表)によると昼間12時間だけで計327台24時間で計383台も通行する交通量の多い県道のようだ。
ただ、県道29号との交点から一部区間に関しては二車線ほどの比較的広い道へと移行しており、徐々に広い道へと改良がなされている。

直近では平成29年11月9日(木) 午前12時に川上ダム建設により旧道が水没するため、伊賀市青山羽根から伊賀市種生の区間にて約3.9kmのうち約1.5kmが新たに新設されている。(主要地方道青山美杉線を供用開始します)
この記事によると片側幅員2.75mの2車線道路となっているようだ。
少々逸れるが、上述した拡充ページにて主要地方道青山美杉線と述べられていることからも県としても主要な地方道だという認識があるようだ。

しかしながら、今回はルートの関係で三重県道691号線からの進入となる。
そのため、供用された区間はキレイに通行しない形となってしまった。


現地へ

県道691号線

今回は友人から送られてきた写真が恐ろしく美しかったため、ゴリ押しで友人と予定を合わせ、現地へ向かうこととなった。
今回も前回同様、Dunk乗りの友人とアタックを仕掛ける。



目的地へ向かう前に三重県道ならぬ険道691号からアタックを仕掛ける。
ここは元々紹介する予定はなかったのだが、思った以上に険しい道であったため、軽く紹介することとする。

この地点は住宅地を抜けて山へ入る地点だが、この時点で私の険道センサーが反応を示す。


ちなみに反対側がこちら。
山に入る前で既に狭隘な道であるが、ここまでは比較的路面状況はいいため、走りやすい道であった。


木のカーテンをくぐると姿を見せるのがこの惨状である。
以前紹介した山の中にひっそりと存在する林道にて紹介した路面状況と非常に似ている。


とはいえ山の中は非常に涼しく、太陽の光も相まって非常に美しい姿を我々に見せてくれた。
どこぞの灼熱川沿い林道とは大違いだ。
ちなみに離合は困難な箇所が多い。


比較的新しい看板が姿を表した。
ここから伊賀市へ突入するようだが、路面状況に反して結構交通量が多いのだろうか。
上述した国土交通省の調査によると691号線自体は一日に1,800台も通るようだが、果たしてこの道まで通るのかどうか・・・。


少し進むと路面状況が更に悪化する。
以前修理したクランクケースが気になって仕方がないが、慎重に進軍する。


比較的新しい枝木が多い。
恐らく進軍の当日の二日前に台風12号がちょうど近畿を襲撃したため、その名残だろうか。
いくらスーパーカブと言えどこの路面状況は少々きついものがある。


しばらく進むとなにやら奥に石垣が見えてくる。


石垣に囲まれた非常に美しい道が姿を現した。
ここは恐らくは以前左右と土が繋がっていたものの切り通して補強のために石垣を作ったのだと思われる。
それにしても石垣で補強されているのは珍しいように思える。


石垣からしばらく進むと再び開けた道へと変化する。
狭さは相変わらずであるが、人の香りがするだけで安心する。


ここに来てやっとヘキサゴンを一つ回収できた。
本命ではないが、本命だと思えるほどひどく、美しくもある険道であった。

ところで県道691号の標識に貼り付けてある伊賀市が新しいように見えるが、合併でもしたのだろうか。
帰宅後調べてみたところ、どうやら伊賀市は2004年11月1日に合併したようで、上野市・伊賀町・島ヶ原村・阿山町・大山田村・青山町が同時に消滅した。(伊賀市の合併の記録)
この標識があるところから西側に行くと赤岩尾神社があり、そこは名張市であり、更に北に行くと青山町駅があるため、この一帯は元々青山町であったと推測できる。(三重県の69市町村の地図【平成15年11月30日以前】)
ということはこの裏には青山町と記されていたのだろうか。
非常に気になるが、これ以上の情報は得られなかった。

県道39号線から終点へ


さて、ここから本命の県道39号へと突入していく。
と言いたいところだが、少し進んだところに謎のソニックの巨大オブジェが姿を現す。
どうやらここから上へ登っていくと小寺山荘があるようで、そこが管理するオブジェだろうか。

早速三重県道39青山美杉線のヘキサを回収できた。
写真では分かりづらいが、このあたりの39号は非常に狭隘な道路で、普通車の離合は不可能ではないが厳しいように思える。
だが、この程度は険道39号のただただ入り口に過ぎなかった。


少し進むといきなりこの面構えである。
路面状況は通行帯に関しては良いが、ところどころ周りの枝木がはみ出ていて非常に危ない。
台風の影響もあるだろうが、枝木に関しては腐食が進んでいるように見えるため、前からあったのではないだろうか。


更に進むと今回のメインディッシュ、杉並木が姿を現す。
当日は京都で35℃、三重で恐らく31℃であったが、ここは驚くほど涼しい。
体感温度は恐らく26℃ほどではないかと思えるほどで、私はアーマー装備の長袖であったため、ちょうどよかったが、相方は半袖半ズボンで寒いとこぼしていた。


ネットでも有名な県道交差地点へやってきた。
直進するとそのまま39号が続き、右左折すると県道755号へと移動する。


左折した方向を向いた写真である。
轍からしても39号よりもひどい道のような気がするが・・・。
地図を確認したところ道幅はさほど変わらないが、ヘアピンカーブだらけで通行には困難を伴いそうだ。


ちなみに右折した側は道路災害復旧工事が行われているようで、9月20日まで通行止めのようだ。
何れにせよ今回の目的ではないため、このまま直進する。


少し進むと狭隘 + 路肩が崖というなかなか肝が冷える道路状況へと変貌する。
フル装備とは言え落ちたらひとたまりもないことは容易に想像できる。


当サイト恒例の砂防ダムを回収した。
よくあるオーソドックスな形をしているが、水が流れており道と交差する形で川があるため、走っているとすぐに発見できる。


少し戻ったところに小さな川があったが、透き通った美しい水だった。
ただ、台風の影響か若干茶色に濁っていた。


休憩はここまでにして先を急ぐ。
ここからは下りに入るが、足場が非常に悪いため、慎重に進まないと滑ってこの世とさようならしてしまう
ちなみに交通量は少ないが、この先で3台ほどとすれ違った。
小型二輪と原付だったため余裕だったが、これ以上の大きなバイクは離合が困難かもしれない。
自動車は少なくとも離合は不可能だろう。


ボロい橋で明らか現在では使われていない廃道香りを感じる。
とはいえガードレールがあることからつい最近までは利用されていたのだろうか。


橋からほんの少し進むと左側に謎の荒れた道が姿を現した。
左右の補強は近代的だが、路面状況がただの林道である。
地図で確認するとゴルフ場の管理用通路だろうか。
少なくとも管理用の道なのは確かだろう。


あれから結構走ったが、かなり広い道へと移動した。
このあたりは住宅地のためか交通量がまま多いのだろうか。


終点へ到着。
とりあえず県道39号は一旦終了だ。
ここからは県道15号を左折して寄り道をする。


県道15号線から君ヶ野ダムへ


県道15号線は県道39号とは異なり、2車線の広い道が続く。
トンネルも完備されているため、ストレスなく走れる。
しかしながら、トンネルのライトが暗すぎて小型・原付勢には少々きついため、旧道から迂回することにする。
ちなみにこのトンネルは鎌倉トンネルといい、2003年10月に施工、延長663mの巾6m、高さ4.7mのトンネルである。
この先にもトンネルがあるのだが、キレイに迂回したため確認していない。


迂回路で見つけた鉄道橋と川。
川の緑さが橋の色と風景の色とマッチしていて美しい。
電車は走っていなかったが、走っていればもっと映えるのだろう。


迂回路で見つけた廃墟。
中には入っていないが、外から見たところ残留物がいくつか残っていたが、結構古いものが多かった。
結構前に廃墟になったのだろうか。


更に迂回路を進んでいく。
今まで走ってきたところと比べるとかなりマシだが、路面状況が若干悪い。
トンネルができたためかほとんど車も通ることがないのだろう。


お目当てのダムが見えてきた。
時間的にもここを目指して引き返すことになりそうだ。


ここで三重県道15号のヘキサを回収した。
県道15号は34.2092kmもある結構大きな県道のようだが、今回はほんの一部分だけを堪能しよう。


ダムへ到着した。
君ヶ野ダムはダムの上を12tまでの自動車であれば通行が可能で、反対側には温泉もあるらしい。
春は桜がキレイなようで、春に進軍するのもありかもしれない。
ちなみに今回断念したが、ダム付近にも旅館の廃墟があるらしい。
下から見えたため、入り口だけでも納めようかと思ったが木々に阻まれて断念した。


県道39号線と廃墟


帰りは道中見つけたボロい橋の奥をちょっとだけ散策したため紹介して終わりとする。

橋から少し進んだところにある苔の生えた石橋。
道の状況もそうだが、相当前に設置され、使用されていないのだろう。


若干予想はしていたが、やはり廃墟群が姿を現した。
倒壊具合がひどく、全壊も時間の問題だ。


まだかろうじて形を維持している小屋っぽい建物。
こちら側の道と建物のある場所の間には用水路があり、初めに載せた橋が唯一の交通手段だったのだろうか。


瓦だけとなってしまった建物。
果たして瓦だけが放棄されているのか全壊で瓦だけが残ったのか。


屋根っぽい部位だけが残る廃屋。


このあたりは廃墟探索地図によると昭和40年に放棄された谷中集落という場所らしい。
バイクのこともあってあまり奥まではいけてないが、もう少し奥もあるようだ。
また、現在ではほぼ全壊状態の建物が多く、探索は危険を伴う。
ということは管理用道路と思っていた箇所ももしかすると谷中集落へ繋がる道だったのかもしれない。
バイクの状態が良ければもうちょっと探索したのだが、これから2時間かけて帰らないといけないため、ここで帰宅とする。

その他の写真














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