暗峠に眠る廃徒歩道 Part.1

6年ほど前に国道308号線 暗越奈良街道 暗峠にアタックしたが、実はこの峠には徒歩専用の道が存在した。
いつから存在し何のために作られたのかどれだけ利用されていたのか不明だが、6年後には人知れず封鎖されてしまった。
今回は徒歩道の下見を兼ねて暗峠を再訪し、封鎖される前の通行時の様子と合わせて紹介しようと思う。

廃道レベル

廃道レベル ★★★★☆
封鎖されている廃道というだけあってレベルは高め。
内部に入ることは容易だが、その先は植生がすごく道は壊れており、一部は背の高い草が生えていて先が見えないところがある。
封鎖されているので当然のことながら誰も手入れはしていないだろうし池のそばを通る区間があるので転落の危険も避けられない。
興味本位だけで入るのは避けるべし。

事前調査

場所は大阪府東大阪市東豊浦町にある国道308号線 暗峠の大阪側のおおよそ中間くらいに位置する。
最大勾配となるつづら折りの少し手前にあるり、ここには道標が置かれているのでこれが目印になる。
地理院地図でも徒歩道として描かれていることがわかる。
しかしながらこちらの徒歩道は暗峠という超有名スポットにあるにも関わらず大した情報がない。


Google Mapによると白蓮寺という廃寺がスポットされているが、口コミをみてもこの寺で調べても暗峠のものは存在しない。
スポットされているくらいだから最近放棄されたものと思っているが、にしても情報が少ないのでもっと昔に放棄されたのかあるいは利用者が少なすぎたのかどちらかか。
とりあえず調べても全く情報がないので現地へ踏み込むことに。 なお、今回は2021年に一度訪れてから更に2025年に訪れているので2021年から開始となる。

探索開始 (2021年5月29日)

入口

前回の探索からおよそ3年後の2021年5月29日、再びこの峠の前にやってきた。
再訪のためにやってきたが、今回はその途中で見つけた徒歩道に焦点を当てていく。

場所は飛んで暗峠屈指の最大勾配のすぐ手前。
この頃はまだDトラッカー125だったためめちゃくちゃ動きやすかった。
明らか何かしらの道があるとしか思えない白い柵に人道程度に開けたスペース。
これは明らかに道だと察した私は暗峠を放り投げて中に入ってみることに。
ちなみにこの当時はこの道のことは全く知らない。

ちなみに右側にあるのは道標である。
後にも貼るが、この当時は草木で覆われていた。

内部へ

少し入るとすでにこの有り様。
5月末と暖かくなりかけの時期だがにしても植生がすごい。
こんなところ普通の人なら徒歩でも入ろうと思わないくらい。
農道か登山道だと思っていたが、この様子だと農地は無さそうだし登山客が利用するような道にもあまり見えない。

笹のトンネルを超えるとカーブが見えてくる。
カーブの先には小さな滝がり、なぜか電子レンジと思われるものが置いてあった。
不法投棄にも見えるが、これ一つだけ捨てるのもあるような無いような・・・。
後で見に行くが、この上に小屋があるのでそこから落ちてきたとも考えられる。

カーブで振り返るとこんな感じ。
行きの画像はそこまで荒廃しているように見えないが、振り向くと思いの外荒廃していた。

カーブに入ると金属製のフェンスは途絶え、木製の今にも朽ち果てそうな・・・っていうかもう腐ってるんじゃないかっていうフェンスに変わる。
通路には一人分だけ植生が欠けているので恐らく稀に通行があるのだろうが、やはり農道や登山道にはどうしても見えない。

私は入ったときから現実から引き離されて異界にいるのではないかと思っていたが、このあたりから本当に家に帰れるのかという不安にかられ出した。
こういう人のいない小道に入って出たら似ているが違う世界に居た、というおとぎ話があるがそれを強く想像してしまう。

草木の楽園を抜けると一気に視界が開ける。
これくらいならまだ林間学習で行くような森林公園あたりの徒歩道と言われれば疑わないくらいではある。
足元もしっかりしてるし普通に歩ける道だ。

とはいえキレイではあるものの植生はしっかりとある。
ここに来て人工物、電柱が建てられていた。
見た感じそんな古いものではなく結構新しい用に見える。

しばらくは比較的歩きやすい森林の遊歩道を歩いてるよう。
ここはイノシシや鹿はいるらしいがクマはいないようなので安心して歩くことができる。

再び電柱が姿を表した。
建造物があるようには見えないが、どこに電気を送電しているのだろうか。

ここまで綺麗だったフェンスがついに朽ち果てている箇所が出てきた。
逆に今までの区間が生き残ってるのが不思議なくらいだが・・・。
落ちても怪我はしないと思うが、左側の少し下には小川が流れている。

上をふと見てみるとなにやら人工的な柵や建物のようなものが見える。
農地や田舎の農家にあるような細いワイヤーフェンスでここからは良く見えないが農小屋のように見える。

白蓮寺

そして本当の人工物、建造物のようなものが見えてきた。
恐らくここが白蓮寺だろう。

ここに来てついに路盤の一部が崩れ始めていた。
今のところ致命的ではないが、大幅な消失は時間の問題だと思われる。

橋のところまでやってきた。
どうやらここが白蓮寺のようで2つ残されている遺構のうちの鐘にでかでかと「白蓮寺」と書かれている。
よくみると鐘も残ったままだし落ちているわけでもない。
案外しっかりと固定されているようだった。
さすがは日本建築といったところか。

鐘と門意外はすべて解体されているようで当時の寺と思しき姿は何一つ見られなかった。

ここから上を見てみると、これから登る廃道に沿ってフェンスが伸びている。
どうやら寺の敷地は上の方まで続いていたようで結構大きいみたいだ。
建物は何一つ残っていないと思っていたが、4年後の現在に見返してみると左端になにやら現存している建物が・・・。
探索当時廃道と廃寺に興奮してしてしまっていたのか気づいていなかったようだ。
次回再訪する時には果たして現存しているのだろうか。

橋はというと廃墟にも関わらず橋桁はピンピンしているし欄干についても結構しっかりとしているように見える。
帰りに試しに渡ってみたが、弱っている箇所は特に無かった。
やはりここが放棄されたのは最近なのだろうか・・・?

再開と撤退

さて気を取り直して先へ進もう。
ここからは一気に勾配がきつくなり更にはガレ始めるので結構しんどくなってくる。
この道が現役の時から勾配は一緒だと思うが、落石はあとから増えてきたものだろう。
その先もフェンスが途切れているので腐ったというよりかは落石で潰されたのだろうか。

2/3くらいまで登ってきた。
振り返ると結構な高さまで登ってきていることがわかる。
忘れかけているがここは暗峠である。
徒歩道もしっかりと登るのだ。

これがどこに合ったのかあまり覚えていないのだが、登りきったあたりで見つけたのだと思う。
なにかの計測器だろうか。
完全に放棄されたわけではなく一部の往来があることがうかがえる。

登り切ると眼の前に広がる植生とこれまたしっかりしていそうな橋が姿を表した。
探していないが、恐らく名盤などは存在しないだろう。
真ん中には人が今でも通行しているかのごとく草が無いが、これは多分水が流れているだけだ。

さて、一番の問題はこの先の緑色である。
橋の先だし電柱ががあるのでここが道であることに間違いはないがこの先どうなってるんだ・・・?

・・・

・・・

・・・

!!

と藪を漕いで漕いで開けたと思ったらその先はこの有り様。
いやぁ藪を漕ぐつもりはなかったので装備も持ち合わせておらず、ここから先に行くのは少々無理があると感じた。
この当時はこの道が先にある小さな集落に繋がっていることも知らなかったしいつまで続くかもわからないからここは撤退をすることに。

いやぁ電柱は先にあるから道はあるはずなんだけどなぁ・・・。
名残惜しいが今日はここまで・・・。

トボトボ来た道を引き返す。
ここ何がキツイって足元がぐじゅぐじゅなの。
登る時より下る時のほうが滑るから結構危険。

農小屋?


さて、最後に来てからずっと謎だった小屋のところへ行ってみよう。
写真では撮っていなかったが、歩いてくると嫌でも分岐が見えてしまう。

遠目で見ると道のようで道ではない坂に見えるが、近くまで来ると意外にもしっかりと道になっている。
恐らく当時から水の浸食により斜めになってきているのだろう。

登るとやはり小屋のようなものがあるし柵が農地のそれっぽい。
右側へはとりあえず後回しにして小屋の方を見てみよう。

小屋の前までやってきた。
相変わらず植生がすごくなにがあったのか全くわからない。
石垣もあるし家があったとも考えられなくはないが・・・。
そしてよく見るとホースが束ねられたまま放置してある。
先には現代では当たり前のシャワー等切り替え式のノズルはついていないので新しいものではないと考えても良さそう。

奥の方を見ても植物だらけでやはり何が合ったのかはさっぱりわからない。

さぁお待ちかねの小屋の中だ!
一輪車に水田でよく使うトタンの波板はあるし、床には支柱が転がっている。
チェンジ後を見るとわかるが、芝肥料と書かれたボトルが刺さっている。
どうやらここは農語やと考えて間違え無さそうだ。
しかしながら芝肥料って芝生を作る際に使うものだと思うが、農地で芝生なんているか? ってことはやはりここには家があり庭の手入れに芝肥料を使っていたのでは・・・?
入口の滝には電子レンジのようなものが落ちていたし家があったとしてもおかしくはない。

そしてどうやらこの芝肥料は「メネデール 芝肥料」と思われる。
ボトルデザインが一緒だし今でも売ってるみたいだからいつのものかは推定できなかった。

結局よくわからなかったが引き返してもう一方の道を見てみよう。

草ぼうぼう。
藪ではないので人の往来はたまにあるのか?

左の方には檻のような鉄格子がおかれていた。
イノシシ用の檻だろうか。
かかっている様子もなく設置してから結構年数が経っていると思われるくらいには錆びていたし草も生えている。

用事が済んだのであとは来た道を戻っていこう。
行きと比べて帰りは激藪感がすごい。
なんか帰り人とすれ違った記憶があるんだけど今でも記憶違いかと思うくらい信じられない。

ようやく戻ってきた。
熱くはない時期のはずが全身汗だくになっていたことを今でも覚えている。
そして後編へ続く。

残された遺構たち

最後に暗峠側に残されたかつての遺構たちを紹介しようと思う。
2025年に再訪した際はこれらすべて植物に覆われていて何があるのかは良く見えなくなっていた。





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