腐道の先にある【塩降隧道】

今からおよそ4年前(2022年9月)に訪れた大阪府道・和歌山県道61号堺かつらぎ線
その大阪側にある腐道のちょうど頂上に位置する「塩降隧道(しおふりずいどう)」。
かなりしっかりした作りになっているが、その実はかなり狭隘で離合はまず不可、しかも大阪側は入口すぐに急カーブしており先が見えないという結構危険な隧道である。
また、心霊スポットとしても有名らしく隧道名で調べると一発で心霊スポットがでてくる。
夜になると歩行者ももしかしたらいるかもしれないので注意したい。
ちなみに私が入った時は特段何もなかった。普通の隧道。

事前調査


場所は大阪府和泉市の阪府道・和歌山県道61号堺かつらぎ線の大阪側にある山頂に位置する。
特筆すべき点はない普通の隧道だが、狭隘な道の先にある上に心スポであるので一応は用心して向かいたい。
ちなみに上記府道を探索した際は数台軽自動車とすれ違っているので交通は一応ある。

探索

入口外

開始は大阪側の施福寺と分岐する辺り(Google)から。
ここで初めて隧道の存在を知ったわけだが、これは規制予告の規制標識で塩降隧道の高さ規制を示している。
結構汚れてしまっているが、それほど古いものでもなさそう。

場所は飛んで隧道の前までやってきた。
第一の感想として不気味な場所だと感じた。
その理由としてはトンネル内部に落書きがやけに多くもしかして心霊スポットではと感じたからだ。
心霊スポットになっている場所は総じて良いことが無い。
実際にこうして落書きがされているわけだし。

周辺をチェックしていこう。
まずは入口すぐにあるのは高さ制限の規制標識と幅員減少の警告標識である。
高さ制限については少し前から警告があったが、ここでも再度示されている。
3.3mは中型トラックでも超えないため結構余裕がありそうだが、軽トラで角材とか乗せてると超えるのだろうか。
中型以上のトラックだとそもそも道中やトンネルの幅員がたりなそう。
狭隘なのは見てわかる通り。

坑門の左側には銘板のようなトンネル点検銘板と呼ばれるものが取り付けてあった。
トンネルに改称されていることと、明らかに昭和7年のものではないので後付けだろうか。
本物の竣工銘板は補強工事で撤去されてしまったのだろうか。

とりあえずここからわかることとして、この隧道は全長158mで竣工年がなんと昭和7年である。
補強はされているにしても戦前から今まで残り続けているのはすごいことだ。
高さと幅員は記載されていないが、大阪府のトンネル 個別施設計画によると幅員 は4.73mで高さは不明だった。
警告標識から逆算して3.3mなので最も高いところで4mくらいだろうか。

そして点検実施日に令和2年とあるので探索当時が2022年(令和4年)ということから2年前には点検されていることがわかる。

塩降隧道の扁額は健在だった。
これが当時物かどうかはわからないが、ヤレ具合からして当時物か・・・?
しかしながら、補強工事の写真を見る限りは当時物には見えない。
実はここのトンネルは2002年に補強工事で大きく変わっているようなのだ。(堺かつらぎ線塩降隧道補強工事)
これを見る限り扁額は新しく作られたようにも見える。
わざわざ文字を右から書くようにしているのは当時物を再現したのだろうか。

少し戻ると和泉市のヤレた看板が立てられている。
実はトンネルの入り口付近で和泉市と河内長野市の境界がある。
そして裏に見える標識は・・・。

もちろんヘキサだ。
最近はめっきり回収していなかったが、久しぶりに回収できて満足。
こちらはかなりきれいな状態で最近付け替えられたのだろうか。

内部へ

ではいよいよ内部へ入っていこう。
4年も前のことなので当時のことは全く覚えていないので涼しかったかどうかは不明。
しかしながら、入り口から出口が見通せないので奥から車が来ないかどうか非常に不安だったのは覚えている。
来たら轟音で気づくと思うが、何分このトンネルで車が通っているところを見たことが無いので体感がわからない。
あとは落書きが多くあまり雰囲気はよくない。

カーブを超えるとあとは直線のため出口まで見通すことができる。
入り口の照明とは違い内部は白いナトリウム灯で心スポという割にはかなり明るい。
路面も意外にもきれいでしっかりと整備されていることがうかがえる。
そしてご丁寧に奥までしっかりと落書きがされている。

入り口を振り返ると見えるのは大自然。
外はさすがに落ち葉や土が堆積してしまっているが、それでも通行する場所は比較的キレイな部類だと思う。

ちなみに今回は時間的問題もあり内部の徒歩は行っていない。
ここから反対側までバイクで駆け抜けていく。

反対側へ

場所は一気に飛んでトンネルの出口、つまり河内長野市側の坑門となる。
こちらは和泉市と大きく変わって路肩までしっかりと整備されていた。
落ち葉は多少あるが、土の堆積が明らかに少ない。
街灯のおかげか雰囲気も心なしか明るいのもまた特徴的だ。
夜になるとむしろ心スポとして映えそうだが・・・。

そしてこちら側は高さ制限の規制標識しか設置されていなかった。
行政の対応の差か・・・?そもそも元から狭隘だからいらないのかもしれない。
一応小さく補助標識で狭くなることは書いてあるが。

と思いきやよく見ると高さ制限の下に小さく筋が見える。
2枚目は入口(和泉市側)のものだが、もしかして幅員減少の警告標識が取り付けてあったが何らかの理由で外れてしまったのでは?
明らかに無駄なスペースがあるし、補助標識も少しずり落ちている。
となると標識はどこへ行ったのだろうか・・・。

当たり前といえば当たり前だが、河内長野川の坑門は和泉市側と全く同じだ。
扁額については和泉市側と比べてさらにヤレている。
恐らく当時物ではないと思うが、スゴイ真っ黒。
こちら側には竣工銘板はないようだった。

少し中を覗いてみるともう一つ新しい情報が合った。
これがなんなのかはわからないが、設置日は令和3年12月と今までで最も新しい公共事業の痕が見られる。
しかしながら何を表しているのだろう。

河内長野側の出口を振り返るとこんな感じ。
やはり和泉市側と異なりかなりきれいに整備されているようだ。

最後に河内長野側の道を見て終わりにしよう。
いたって普通の峠道だが、心スポとしてくるとまあ確かに怖いのかもしれない。
通行した感じは何もなかったが。

そしてこのまま阪府道・和歌山県道61号堺かつらぎ線の続きへ向かうのである。

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