廃徒歩道の下見と暗峠の再訪 Part.2

前回のレポートは廃徒歩道の下見と暗峠の再訪 Part.1で、2021年に訪れた際の写真を元に紹介していった。
今回はPart2ということで2025年の写真を元に紹介していこうと思う。

ちなみに撮りだめたデータがラストなのでまたしばらく更新がなくなる。
プラス車検でバイクが無い・・・。

探索開始 (2025年8月8日)

入口

早速だがいつものごとく暗峠へやってきた。
暑すぎると思っていたが、意外にも29度と低く前回の探索時は25度なので4度しか差はなかった。
なのだがえらく暑かった。

今回は暗峠に用事はないのでサクッと目的地まで走り抜けてきた。
Google Mapで事前に見てきたから驚きはしないが、案の定フェンスで封鎖されている。
危険な状態なのは前回の探索の時点で感じていたので4年も経てば更に危険度は増していると思われる。

幸い草が借り払われていたので上から道の様子を伺ってみる。
時期が時期だけに植生がすごく先があまり見えない。

もう少し奥の方へ行ってみると金属製のフェンスから木製へと切り替わるポイントが見えた。
路面状態は当然のことながら良くないが、当時とあまり変わらず思ったよりは悪くないと感じた。
入るならここからでもエントリーできそうだが、今の体力だと戻る自身がないな・・・。

少し下ってフェンスの反対側へやってきた。
ここなら私の体力でも出られそうだ。
今回は入らないが、次回植生がマシな頃に来る時はここから出入りしよう。

せっかく借り払われているので道標も見ておこう。
右は暗峠で左は・・・髪切山慈光寺以外全く読めない。
どうやら近鉄 お伊勢参り 第一回 その16/17 枚岡神社~暗峠によると「ほととぎすの名所 髪切山慈光寺」と読むらしい。
髪切山慈光寺とは遊歩道の先にある集落にあるお寺で現在でも営業している。
アクセスについても現在は自動車でも可能なのでわざわざ遊歩道を通る必要はないのだ。(そもそも通れないが)
そして私は良く知らないのだが、善光寺はどうやらホトトギスの名所らしい。
道標から廃れる前は善光寺へアクセスする徒歩道として生きていたことがわかった。

そして借り払われたことで見えるようになった反対側には道標が建てられた日付と恐らく建てた者の代表者が刻まれていた。
大正に建てられたにしてはやけにキレイだが補修されたのだろうか。

ところで封鎖地点から少し下ったところにはなにやらアヤシイ小道のようなものが。
これこそ農道かもしれないが、遊歩道以上に廃れているのでよくわからなかった。   地理院地図でもラインが描かれていないので気の所為なのだろうか。

反対側へ

お次は反対側へやってきた。
こちらは前回の探索時にはチラッとしか見なかった区間となる。
こちらも当然のことながら封鎖されていてその先もしっかりと草だらけとなっている。
しかしながら、思っていたよりかは植生が落ち着いているので意外にこちらからなら簡単にアクセスできるような気がする。

ちなみに2021年に訪れた際はこんな状態だった。
まさかこれに繋がっているとは思わず当時はここまで来て無視して帰ってしまった。
バイクは私のじゃないです。

今回は下調べもしてきているのでこれが例の遊歩道とつながっていることは調査済み!
ってことで思ったより歩けそうなのでいけるところまで行ってみることに。
地理院地図から池があることは把握しており、2021年の写真から手前にも地図にはない池があることが把握できている。
しかしながら植生がすごくそんなものは一切見えないのでかなり慎重に歩かなければならない。
もし足を踏み外せばどうなるかわからない。
水がまだあるなら数年単位で動いてないだろうから微生物のオンパレード・・・。

植生がえぐすぎて道意外の情報が全く入ってこない。
写真だとあまりわかりにくいが、生で見ると意外にも道があるなっていうのがよくわかるのでサクサク進めてしまう。

今いるのはだいたいこのあたり
奥には金属製のフェンスがあり、手前の足元にはコンクリートの擁壁のようなものがある。
道としてこのルートは合っているようだ。
そして帰宅後に確認して初めてわかったが、この擁壁から下は池のようだ。
実際に水が張っているのはもう少し奥だと思うが、草木が多すぎてほんとに水があるのか懐疑的だ。

フェンスのところまでやってきた。
意外に道はしっかりしており今でも誰かが通行しているように感じる。
この池は以前より釣り人がいるらしく、池が健在なら今でも釣り人がいるのかもしれない。

下見のつもりが結構奥まで来てしまった。
一時的に駐車させてもらっているのであまり長居はできないため奥の茂みまで行って引き返そう。

茂みまでやってきた。
奥のことが気になるが、早々に引き返してバイクを回収しよう。
植生が落ち着いた時にまた来よう。

引き返す際に撮影した一枚。
ここまで見た目はすごいが特に歩行に難のある区間はなかった。
勾配が無いだけでこれだけ歩きやすくなるとは。

最後に擁壁と思しきコンクリートを見ておこう。
地面は良く見えないが、高さ的に池の擁壁か?
恐らくここまで水位が上がることはないのだと思うが。

事後調査

航空写真から

全線通して歩いた訳では無いが、2021年と2025年の情報と地理院地図の歴代航空写真を見てわかったことがいくつかある。

まずは1961年~1969年だが、白黒写真なのと解像度が低いのであまり詳しいことはわからないが、この時期の暗峠には破線(庭園路)となっている大きな道路は存在せず、暗峠本線と今回の徒歩道だけがあったようだ。
そしてその道は集落に繋がっているようで、大阪方面から来た場合唯一アクセスできる道だったようだ。
恐らく暗峠は勾配がキツすぎるし頂上から集落に行くとなるとかなり無駄に遠回りになるので、比較的簡単にアクセスできる徒歩道を作ったのだろう。
そして何よりも現代に比べて木や草が少ないように見え、田畑がかなりあるように見える。
現在では考えられないことだが、この当時は田畑や林業がこのような山奥でも存在したことがうかがえる。

白蓮寺の存在はよくわからないが、何やら黒い点があり徒歩道が結構利用されていそうな地形から、この時代からあったのかもしれない。

続いて1974年~1978年へ。
この時代から破線の大きな道ができているようだ。
暗峠はその狭さと勾配から当然のことながら自動車交通に難があったはずなのでそれに変わる大きな道が作られたのだろう。
しかしながら現代でも積極的に利用されている雰囲気はない。
徒歩道はというと依然としてしっかりと形があり田畑もあるので普通に利用されていたのだろう。

そしてよく見ると私が何か怪し道があると行っていたところには田畑のようなものが見えるので恐らく本当に道があったのだろう。

続いて1979年~1983年へ。
撮影時期もあるのだと思うが緑色が一層濃くなっている。
木も増え始めており徐々に道が飲み込まれ始めているのだろうか。
とはいえまだ田畑は健在なようで利用はサれていたのだと思う。

続いて1984年~1986年へ。
ここからどんどん緑が濃くなっていく。
徒歩道の形は一部分しかわからなくなっており田畑も残ってはいるが減ってきているように見える。

そしてこの時代から2021年の探索時に発見した農小屋のようなものが写り始めている。
周辺には水田のようなものが1961年から写っているので恐らくはそれに関する小屋だったのだろう。トタンの波板もあったし。
しかしながら、私の予想は外れていたようでここには家はなさそうだった。

ここから一気に年が飛んで2008年へ。
大きな変化はないが、白蓮寺のあたりに白い建物のようなものがくっきり写っている。
この時代はまだ健在だったのだろうか。
田畑も減ってはいるがいくつか残っているように見える。

そして前回の探索の年である2021年へ。
この時期は前回のレポートでわかっている通りすでに荒廃が進んでおり封鎖はされていなかったがもはや廃道であった。
道の形もこの時期からはもう見えなくなっており、田畑も集落側(青点)にしかもう残っていない。
これは実際に訪れた際に生で確認している。

そして最も再任の2022年。
この時期は見ていないが、更に一層緑化が進んでおり道があることを知らなければ道の形は全く見えなくなっている。
集落側の田畑も青点側は道の真ん中が黄色くなっているのでその部分は使われているっぽいがその奥になると完全に緑になるので使われていないように見える。

以上が航空写真だが、まずわかる点は小屋のような場所だ。
ここは農地があったようで1984年あたりですでに建物のようなものが観測できている。
そして2008年時点でも農地のようなところは緑化しておらず管理されていることが伺える。

道については航空写真では見えないが、池の付近が刈り払われているころから管理がされているように見えるのである程度の利用はあると思って良さそうだ。

そして2021年となると一気に緑化が進み、農小屋のところはすでに草原と化し小屋は廃墟化していた。
そして池の付近は完全に道が消失していることから暫定廃道となっているようだった。
つまり範囲は広いが2008-2021年の間に半放棄状態になったと思われる。

そして現在の2025年には封鎖までされてしまい、実際に訪れてみると農地も青点から赤点まですべて放棄されていた。
Googleストリートビューによると2023年3月はまだ通行可能だったが、2024年6月には閉鎖されていたようなので2024年6月付近で廃道となったようだ。

考察

以上からこの徒歩道は1961年-1969年以前から存在するかなり歴史の長い道であることが判明した。
情報が何もないので詳しいことはわかっていないが、恐らく青点の集落へアクセスするための徒歩道と考えられ、暗峠の最も苦しい区間をスキップできる道となる。
勾配もあるといえばあるが、暗峠ほどではないのできっと当時はたくさんの人が歩き生活を支えてきたことだろう。

そして何よりも驚きなのがこれほどにまで勾配のある峠道でも田畑がたくさんあったことだ。
現在はその姿は何も残っていないが、当時はたくさんの人がここで農業を営み生きていたのだ。

そして今ではそれほど生活を支えてきた道は完全に封鎖され、人知れずその役目を終えようとしている。
恐らく今後整備されることはないだろうし山の一部へと戻っていくのだろう。

しかしながら赤点側は2021年時点で手前のほんの一部だがコンクリート舗装され近代的な金属のフェンスが装着されているなど整備するつもりはあったのかもしれない。
悲しいことにそれはほんの手前で終わってしまい現在は山へ帰ろうとしているが。

そして豊浦山池という一大物件があるが、こちらは東大阪市が管理している灌漑用水らしいのでこちらが放棄されているのか現在でも管理されているのかが気になる。 管理されているならばどちらかのルートが管理のために使用されることになるが、そもそもこの付近にはもうすでに田畑は存在せず灌漑用水の必要性がどれほどあるのだろうか。 こちらの管理自体ももしかすると放棄されている可能性もあるが、どうだろうか。公共事業だし放置の危険性が大きいからそのまま放棄はないか・・・?

次回は全線を通して通行する予定だ。

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